深く音楽を体感することの勧め(前編):Deep Music Experience第1回

by Shinichi Hiramoto(2017.06.20)

音楽をただの一過性の娯楽、快楽的な消費物とするのか。それとも視聴者一人一人が心から向き合い、その音楽性から汲み取れる「感覚」と「メッセージ」を最大限吸収し、己が生きていくこと、成長していくことへと還元していけるすてきな友とするのか。
alphanoteでは前者の見方が支配する音楽業界と社会常識には飽き飽きなので、後者の視点からどんどんありとあらゆる音楽へと視聴者を繋げて行くお手伝いが出来たらと考えています。
そんな視点から今後色々な音楽を紹介・分析して行こうと考えている筆者はオランダ、ライデン大学で修士・博士を修めました哲学博士、何よりも音楽が好きな推定CD2万枚所有する平本と申します。よろしく!

第1回の今コラムでは音楽を友とし、己自身の価値観や心の壁を越え、ミュージシャンたちが曲に込めた想いを素直に汲み取り、深い共感覚を得ながら音楽を吸収するにはどうすれば良いのかと言う方法を2回に分けて提案して行きたいと思います。
実技には意識する点が大きく6つ、今回は前半4つを紹介します:

 

1

音楽は第一に「感覚」を「経験」することである。(注1)
音楽を聴くという行為は僕ら自身の感覚を最大限利用して心と体で体感、経験すること。
そして感じ取る全ての感覚には我々自身の価値観や趣向と言った「自我」の壁を越えた制作者側の意識に由来する、聞いた時に心の間に繋がりが築かれる原因・理由があることを意識する。
よって音楽において最終的には主観性の壁は幻想だと理解できる。(注2)

2

どんな音楽もその誕生の源には「内的」な要因と「外的」な要因がある。
「内的な要因」とは制作者自身の「奏でたい・伝えたいことがある・楽しみたい」などと言った目的意識や表現欲、音楽に対して持っている価値観、個人としての実存的(注3)な葛藤など意識内の要因を指します。
「外的な要因」は制作者が置かれた社会情勢、生い立ち、同時代のシーン状況や聞いていた数々のバンドや他ジャンルの影響などと言った外的環境に由来する要因を言います。
音楽はどんな時も同時にありとあらゆる内的・外的要因全ての結晶として生まれるものだと意識してみてください。

3

音楽の評価に関して権威主義を認めない。
評論家や一般的評価(注4)など一種の「権威」や「集団心理」に基づいた評価は参考にしても決して周りが「良い」と言っているから「じゃあ、良いに違いない」と言う認識を持たず、どんな音楽も自ら聴き、受けた「感覚」に従いその「良し悪し」を決めていきましょう。
聞き手各個人が自分の日常を通して音楽を友とし、人生をより良きものとする上で吸収していく「材料」とするのに他者の評価など最終的には重要ではないでしょう。
自分の心に率直に伝わってくる、強く感じる「感覚」のみが真に指標だと言うことに自信も持って音楽を聞こう!その時々のリスナー自身の内的葛藤や実存的欲求と自然と通じ合う、心を真に挑戦し、その壁を抉じ開けてでも通じてくるような音楽との出会いを大切にするには人の評価にばかり惑わされず、まず自分自身が音楽を聞いて受けた「感覚」に素直にその真価を決めて行くことが大切です。

4

冒険する。
音楽を制作している側、特に海外のミュージシャンはジャンルに囚われずにありとあらゆる音楽、書物、映画や人物などから音楽制作に向き合う影響を受けています。
一つの音楽は既にそう言った多様な要素の結晶体であることを意識して、自分が好きなアーティストを心から動かしたそれらの影響に目を向けていくことは自己の音楽観、世界観の拡大に繋がる言わば「冒険」。
そのためには一つのバンドやミュージシャン、音楽ジャンルに囚われることなく、時には自分の趣味や趣向を超えて色々な音楽をアーティストの影響、同時代的な背景やシーン間の繋がりなどの「線」から辿って行く冒険をすることを心掛けてはどうでしょうか?
その中で時には若干背伸びするなど無理をしてでも今まで未知だった、又は不慣れな音楽も諦めずに聴いてみることをお薦めします。
音楽から得る「感覚」とは常に変わり続けるもの。
音楽の聞こえ方、捉え方は聞き手の心の変化や成長と共にまた変わっていく、
だから一度聞いて自分との繋がりが見いだせなかった音楽でも案外数ヶ月や数年後にふとまた聞くと全く別の感じ方をすることも良くある事です。
諦めずに好奇心のままに冒険しましょう!

普段あまり意識しないところまで意識して音楽を吸収していくことによってより深く、広く音楽を通して自己と世界を楽しもうと提案した今回のコラム、全6つの要素より前半4つを紹介しました。次回はより高度で哲学的な後半2つの要素を紹介します。お楽しみに!


(注1) これは音楽との関係の持ち方を「経験主義」Empiricism的な基礎から見ると言う意味。経験主義とは主体と客体を完全に分けることが出来ると言う認識論を認めず、我々が認識する全てはまず「経験する」ことを介してでしか理解も定義も出来ない、よって人の意識が「経験する」という行為から離れ、完全に客観的な現実を知ることは適わず、客観性の絶対性への執着は人間の実生活にとって合理的にも前提としても必要ないと考える認識論。結果、主体と客体と言う二元論で世界を見ず、人間や音楽と言った現象は何であろうと全てお互いから完全に引き離すことの出来ない、お互いがお互いを創造しあっている関連性の連鎖として理解する世界観の枠組み。

(注2) この点は経験主義の観点に忠実である。全ての現象が経験を通して初めて「現実」と認識され定義され、概念化されるのであれば、全ての現象は「経験」を介しその性質を表す。よって音楽においてもその性質はまず主体と客体を2元化することの出来ない、常に間で起こる「感覚的経験」なのであり、音楽を奏でることも聞くこともそれは聞き手と作り手とが「感覚」と言う海の中で常に流動的に変化し続ける新たな現実を連帯的に創造している行為であると捉えられる。

(注3) フランスを中心とした哲学運動、実存主義より借り受ける用語。「実存的」とは存在すること、生きていくことそのものに関係する「意味」の探求に関わる問題を指す。この場合音楽家自身が「何故、自分は音楽をやるのか」「自分は何を音楽を通して出来るのか」「音楽の力とは何なのか」など自分の音楽家としての意味の探求や「音楽」そのものの可能性に関する存在論的探求を指す。特に音楽をやることに「意味」を与えたり求めたりするよりも演奏その物の「フィーリング」や「直感性」を重要視したり、純粋に楽しむことを中心にして「意味」などに執着の無いミュージシャンでも、その「直感」、「楽しむ」ことや「意味に執着しない」ことその物が既に行動原理となる一種の倫理・価値観を形作っていることから、それそのものが「意味」であり、そう言う観点ではどんな人間にも「実存的」理由が皆無であることはほぼ無いに等しいと言える。真摯に音楽と向き合うミュージシャンにとって理由の必要無さはそれそのものが既に理由となるため。例外は一切自分のやっていることにやる気も楽しさも熱意も無く、惰性で音楽を作っている人間だけだろう。それほど酷い状況が実際におこるのは単にレコード会社との契約を全うするためだけに既にメンバー間が不仲となり解散が決まっているバンドが適当に作ったアルバムとか、情熱も楽しく感じる心も既に失っているのに不誠実にも金を儲けるだけのために音楽を惰性で制作するバンドぐらいじゃなかろうか(笑)しかし「金を儲ける」と言うのもそれはそれで実存的な理由であり、そう言った動機を知っておくのも、もし特定の音楽を聞いたときに「つまらない」と感じたならその感覚を裏付ける誠実性の無さや自分にとっての「良し・悪し」を定める上で意味のある情報になることもあるかもしれません。

(注4) 一般的な評価・大衆の評価と言うのは一個人の評価に過ぎない評論家の評価よりも時に正確に「良い」音楽へ導いてくれることもある。その理由は多くの人に売れたり広まったりする音楽には二つの大きな傾向があるからだと筆者は考えている。第一に中身も音楽的にも特に特出するものも無いにも関わらずただ単にプロモーションに乗って大衆心理に基づいて売れて、多くの人が聞いたことがあり、それしか聞いたことが無いから真っ当に比較評価もなされずに無知蒙昧に「良い」とされる音楽。第二に多くの人々の心に普遍的に通じ、時には実存を根底から奮いあがらせるような「中身」もあり、尚且つ万人受けするような聞きやすさも持ち合わせた、真に理由があって売れるべくして売れた、もしくは広まるべくして広まった音楽。後者が混じっていることがあるので一般的評価・大衆的な評価を鼻から無視するのは過ちだろう。思わぬ素晴らしい音楽との出会いを見逃してしまう可能性がある。