Deejayの父「U-Roy」が憧れていたアーティストとは!?

by So Sasatani(19.07.2017)

(第一弾記事もぜひお読みください)

ジャマイカの音楽シーンを牽引し続けるDeejayたち、SuperCat,Ninjaman,Shabba Ranks,Beenie Mqnなどスターと呼ばれているDeejayが数多く存在している。

今では多くの人々から尊敬され確固たる地位を築いているDeejayだが、昔から現代のように評価を受けていたわけではない。
元々Deejayは場を盛り上げる要素が強く、イベントの進行役やレコードの紹介などを担っていた。
録音されたレコードに自らの名前がなかったことからも理解できるように、その扱いは決して良いものではなかったのだ。

今となっては実力さえあれば一躍スターとなれるDeejayであるが、その礎を築いたアーティストたちを忘れてはならない。
一般的にトースティング(リズムやビートに合わせてしゃべったり語ったりする行為)を確立したU-RoyがDeejayの始まりと言われているが、その前からDeejayは存在していた。

今回は、U-Royのトースティングの流れへと繋がる重要なDeejay「King Stitt」「Count Machuki」を紹介したい。
時代は遡り1950年代のジャマイカ、スタジオ・ワンを立ち上げたコクソン・ドッドは「ダウンビート」という名前でサウンドをしていた。
彼はアメリカに出向いて最新のレコードを手に入れ、ジャズやR&Bを掛けていた。
その「ダウンビート」の手伝いとしてKing StittのDeejayのキャリアが始まった。
King Stittの見た目は決して美しいとは言い難い。奇形とも言えるその顔であるが、逆にそれが多くの人が彼を知るきっかけともなった。
実際に「The Ugly One」というタイトルの曲もリリースしているのだ。

60年代半ばになると、サウンドシステムビジネスに力を入れていたコクソン・ドットはレコーティングにエネルギーを注いでいた。
その時Stittはというと、観光名所であるオーチチョリスでの生活を始めていた。
そんな彼をキングストンに連れ戻したのが「レゲエ」という言葉を生み出した人物とも言われているジャマイカのプロデューサークランシー・エクルズだ。
Stittは彼の元で7インチをリリースすることとなり、クランシー・エクルズのバンド「Dynamites」の演奏で彼はレコーディングを始めた。
そこでAndy Capとの「Herb Man」や「Vigorton Two」といった名曲が生まれたのだ。
さらに、「Fire Corner」のLP盤をジャマイカとイギリスでリリースした。
このアルバムはイギリスでヒットし、King Stittは徐々にレコーディングアーティストとして認められてきた。
それは、deejayに対する扱いが変わってきたことを意味する。
King Stittが確かな軌跡を残した事実は動かしがたいのだ。

U-Royに繋がるDeejayとしてKing Stittだけではなく、「Count Machuki」も忘れてはならない。

彼は、一番最初のサウンドと言われている「トム・ザ・グレート・セバスチャン」に所属していた。
そこからコクソン・ドット率いる「ダウンビート」やプリンスバスター率いる「ボイス・オブ・ピープル」へと移っていった。
彼はアメリカのラジオDJのスラングを取り入れたり、ビートやリズムを呟いたりしていた。それらがライムやヒューマンビートボックスの原型と言われている。
URoyと比べるとヒット曲や発表曲が少ない彼だが、Deejayの元祖は彼であるという説もよく聞かれる。

実はU-ROYはこの「Count Machuki」に憧れ続けていたのだ。彼の影響なくしては現代のレゲエのトースティング技法はあり得ないのだ。
U-ROY自身は「ドクター・ディッキーズ・ダイナマイト」のDJとしてキャリアを始める。
しかし、最初の頃はレコード運びなどの裏方の仕事が多かった。それから、サー・ジョージ・ジ・アトミック・サウンドやダウンビートにてマイクを握る。
その時に、DUBの創始者として知られるキングタビーからスカウトされ、ホームタウン Hi-Fiの専属Deejayとして活動を始める。
60年代の終わり頃、リー・ベリーやバニ・ーリーなどの名プロデューサーの元で彼のDeejayは録音されるものの、大きなヒットにめぐまれることはなかった。
しかし1970年にトレジャー・アイルからリリースした「Wake The Town」「Rule The Nation」「Wear You To The Ball」が大ヒットし、ジャマイカのヒットチャートを賑わした。
これにより、歌うのではなく話すようにリズムに乗せるトースティングのスタイルが確固たるものとなった。
そして、世界初のDJアルバムと言われている「Version Galore」もリリースされた。
このアルバムでは、トレジャー・アイルで活躍したアーティストの音源が使われていた。
どこかメロウな雰囲気のあるロックステディにリズムの上を踊っているようなU-RoyのDeejayが絡まっている。

今回は、U-Royの流れに繋がるDeejayを紹介した。もちろん、U-Royが確固たる地位を築いたのはKing StittやCount Machukiの力だけではない。
昔のジャマイカの音楽は名プロデューサーが牽引してきたとも言えるのだ。
次々とスタイルを変えていくジャマイカの音楽であるが、Deejayの存在は現在でも必須である。
移り変わりの激しいこの音楽、ロックステディの時代に至っては3年ほどしかなかった。
ただ、過去の音は次の未来の音へと確実に繋がっている。スタイルは変われどもDeejayはDeejay。
故きを温ね新しきを知ることにより、音楽は常に新鮮なままなのである。