ブラック・サバスを通して聞くヘビーメタルの「本質」とは何か?(後編):Deep Music Experience 第4回

by Shinichi Hiramoto(2017.9.15)

前回のコラムにてBlack Sabbathと言う革新的であったバンドの音楽が何故最初の「ヘビーメタル」と呼べるのか、彼らの音楽から感じ取れる同時代のロックンロールとは異質な性質を探ることにより、その後のヘビーメタルにも引き継がれるメタルの「本質」と呼べる要素を追求してきました。

その中でBlack Sabbathの音楽は軽薄なノリや楽観性、sex, drugs & rock’n rollと言ったアティチュードよりも暗さや重さ、苦しみ、恐怖や絶望感を感じさせる音であることを指摘しました。

その傾向は歌詞においても反映されており、彼らの音楽の感覚と複数の曲の歌詞から総合的にBlack Sabbathには現実の絶望的で嘆かわしい状況を目を逸らすこと無く率直に見つめ、批判する強い傾向があることを指摘しました。

 

こう言った冷酷で絶望的な現実を直視する音感覚から導き出されるのはBlack Sabbathの本質的な独自性は現実主義とその「現実」に対する素直な「怒り」に基づいた「ニヒリズム」Nihilismにあると言うことです。ここで言うニヒリズムは絶望や自己憐憫に埋没する自己否定、又は未来に起こることを事前に決め付けて全てが崩壊へと向かっている運命にあると考える宿命論を言うのではありません(注1)。

人類、世界、社会などの「現実」、何時までも同じ過ちを繰り返す愚かさ、その先に希望の無いことを論理的(注2)にも実感的にも把握し、その絶望的な状況を直視した上、世界の愚行と虚構を完全否定し、絶望的な世界を越えて行く行為として生きることそのものの飛躍性(élan)と創造性の肯定を行うこと。

即ち世界の現実に垣間見られる人類の闇・愚かさを直視し、その現実に対する「怒り」と「絶望」を力と変え、その闇を完全否定した上に現状から離別した新たな視点・世界観・倫理観を生成し、それに基づいた存在肯定、創造行為の肯定を行うアティチュードを言います。

Black Sabbathの現実主義は如いては楽観性を欠いた根底のある存在肯定へと繋がる分けです。

 

そう言った絶望が約束されている現実とは異なる倫理や世界感の構築の上に存在肯定を打ち立てる側面は例えば個人を抑圧し体制の歯車に変える社会の性質そのものを直視するKilling Yourself To Liveと言う曲の中で見て取れます:

 

「君は人生の全てを仕事に捧げるが社会はどんな見返りをくれるって言うんだ?
それはただ「生きる」ためだけに自分を殺しているのと一緒だ
自分の周りを見てみろ、そこにあるのは傷つくこと、苦しみと悲しみばかりじゃないか
本来この世界はこんなところであるべきでは無いはずだ
それが君に理解出来ないのが残念だ

君は「生きる」ためだけに自分を殺しているんだ
俺の話を信じてみろ
他の誰も教えてはくれないだろう
目を覚ませ、そして社会を塗り固めている嘘を見つめてみろ」(注3)

ここで彼らは本当の幸福を蔑ろにしてまで社会の歯車となることの虚無的な現実を指摘し、その現実とは異なる倫理基準、即ち目を覚まし、その「嘘」を直視した上で苦しみや悲しみとは離別した生き方を模索することを肯定しています。

 

現状の現実を作り上げている体制的な価値観の枠組みとは異なった視点から存在肯定を促す傾向は上記以外にもA National AcrobatやSpiral Architectと言った彼らのより形而上的な、また実存主義的な感覚を感じさせる曲や、ボーカルがOzzy OsbourneからRonnie James Dioに交代してからの名曲Heaven and Hellにもより高度な形で表れています。

また他にも冷戦期のまるで終わりが約束されたような絶望的な世界情勢の中で生まれた若者達の体制への反抗に希望を見出すChildren of the Graveなどにも見て取れますが、興味深いのはこれらの曲全てにおいて共通してBlack Sabbathが苦しみに満ち溢れた絶望的現実から離別し、存在肯定するための世界観・倫理観の基礎としているのが「愛」であると言うことです(注4)。

これほど暗く、ヘビーで激しいバンドには意外な事に感じますが、特に難しい倫理観や正義を説教すること無く「愛」と言う哲学の世界においても伝統的に善や美と深く関わり、本来あるべき倫理感覚の基礎とされてきた身近で誰もが共有する根本的な感覚に世界を良くする可能性を見る彼らの率直さはむしろ憎しみや悲しみなどのマイナスな感情を強調する傾向の強まった後のメタルにはあまり見られないBlack Sabbathの単一的な魅力だと筆者は感じています。

同じくニヒリズムに根ざしていても人間の闇の力や暴虐性を現実から離別した価値観として強調することが一種固定概念化している現代のメタルに対してBlack Sabbathのニヒリズムは現実を直視した上でその絶望を生む構造の否定の上に力強く「愛」に基づいた人生肯定を促す、そう言った「べた」とも言えるような観点をストレートに主張できることにはこのバンドの上っ面に囚われない純朴な良さを感じてなりません。

 

A National Acrobat:

 

Spiral Architect:

 

Heaven and Hell:

 

Children of the Grave:

 

Black Sabbathの現実主義的なニヒリズムは物事の表象性に惑わされながら、又はイデオロギーや理想と言った概念に基づき世界、社会、人類や人間個人の心理を捉えるのでは無く、より単純に根本的な「本質」において感覚的に捉えていると言う点で後に現れるより政治的・概念的に社会批判や人類批判を打ち出すパンクやハードコアと言った系譜の音楽とも異質であると言えます(注5)。

この特異性は聞くものに大変なインパクトと影響力があった事は確かで、意図せずとも感覚的に後の多くのメタルバンドに引き継がれました。

またBlack Sabbath以降のヘビーメタルバンド達はニヒリズムと言う本質にさらにヨーロッパのロマン主義的感覚を吸収、独自発展させ、ニヒリズムの存在肯定、創造肯定の側面をより誇張されたファンタジー性や神話性に基づいた表現により具現化していく事になります。

その完成系の一つがデスメタルやブラックメタルであると言えるのですがそれに関してはまた別の機会にお話します!


(注1)ニヒリズムの定義またニヒリズムをヘビーメタルの中心的な感覚とする見解はアメリカ、テキサス州でヘビーメタルのDJを長年やり、インターネットの普及し始めた初期からニヒリズムの観点に基づきヘビーメタルを分析し紹介してきた哲学者Brett Stevensに同意するもの。ニヒリズムそのものに興味のある方は彼の著書「Nihilism」またその観点からデス・ブラックメタルを分析しているhttp://www.deathmetal.orgを参照のこと。

(注2)この場合「倫理」ethicsとはドゥルーズやミシェル・フコーが引き継いだニーチェ論の流れに則り使用しています。彼らの視点では「倫理」は「モラル」と同義ではありません。「ルール」や「常識」として権威的に決められた行動模範としての「モラル」を疑問視する事無く真に受けることは個人の主体的判断を欠き、受動的に奴隷の如く生きることに繋がりますが、それとは対照的に「倫理」とは各個人が自分自身の論理的、感覚的な総合的分析判断と批判的思考を持ってして物事の「良し悪し」、「善悪」をルール化する事無く、常に流動的な現実の変化に合わせ、その都度主体的に考えた上で決めるための枠組みを意味します。

(注3)歌詞は筆者意訳

(注4)例えばA National Acrobatではこう歌われています:「覚えておいてくれ、「生きる」ことは愛であり、憎しみは生きながらにして死んでいることだ。己の命の価値を最大限に活かし、一息一息を大切に全うしろ。」
Children of the Graveでは:「世界の子供達よ俺の言うことに耳を傾けてくれ。より良い世界に生きたいのであればこのメッセージを広げるんだ。「愛」はまだ生きていることを世界に見せてやれ、勇気をもって。そうでなければ君達の子供達は墓場のような世界に生まれることになるだろう。」

(注5)しかしパンクの系譜にある音楽とメタルは音楽の形式的発展の歴史においてはお互いに強い影響を与え合ってきたことは事実で、本質的な傾向は違えど共に社会や人類の愚かさに対し「怒り」をぶつける音楽であると言う共通した性質もあり、深い関係性がある事を無視することは出来ません。例えばメタルがグラインドコアやデスメタルの発展の中でより過激な速度感を作るために導入した「ブラストビート」と言う高速でスネアを打つドラミングのスタイルはそれ以前のハードコアパンクからの影響を吸収したものです。ヘビーメタルの演奏がより高速化していった背景にはその都度パンクからの影響があるのですが、それはMotorheadと言うスピード感のあるハードロックバンドからの共通の影響を両者が根本として受け継いでいたことにも関係しているかもしれません。