郡上八幡音楽祭2017 西アフリカ・マリの民族音楽 – 現場リポート#1

はじめましてalphanoteの原田卓馬です。音楽に関連する情報を随時アップしていこう思いまして、不定期で『現場リポート』を公開していきます! 初めに断っておきますが、ライブ演奏の素晴らしさを文字と写真で伝えるのって絶対無理です。できるだけ情報は正確に、主観は正直に伝えるよう努めます。

一度も触ったことのないアフリカの楽器のことを書くのは苦戦しました。勉強不足で恐縮ですが、説明に不備や間違いがあればコメント等でご指摘いただけるとありがたいです。

今の所alphanoteは「音楽配信」が主軸ですが、世界中の音楽ファンに未知の音楽体験をして頂きたいという思いを込めてしたためます。

台風18号の接近が予報される中、岐阜県郡上市で開催の『郡上八幡音楽祭2017』に行ってきました!
新宿から高速バスに揺られること6時間。中津川インターへ。出迎えに来てくれた友人の車に運ばれること1時間30分。強風が吹き荒れる中、ひたすら続く山道を駆け抜けて、岐阜県のちょうど真ん中あたりに位置する郡上市に到着しました。愛宕公園の野外舞台での開催予定でしたが台風接近の予報を受け、お隣の郡上総合文化センターの音楽ホール内での演奏に変更となりました。18:00過ぎに到着するとすでに演奏は始まっていました!

郡上八幡音楽祭2017 – マリの歌と弦楽の響演

今年は「West African Grooveマリの歌と弦楽の響演」ということでマリ共和国の演奏家と日本人ホストミュージシャンの土取利行さんらによるライブが行われました。来日キャンセルとなってしまったカマレンゴニ奏者のボア・ジャキテさんに変わって土取さんが急遽演奏することになりました。

メンバーは左から

ヨロ・シセ – ンジュルケル(二弦の弦楽器)
アサバ・ドラメ – ンゴニ(四弦の弦楽器)/タマ(トーキングドラム)
ハンマ・サンカレ – ヴォーカル/カラバス(ヒョウタンの打楽器)
松田美緒 – ヴォーカル
土取利行 – ジャンベ/カマレンゴニ(ヒョウタンのハープ)

約600席のホールは7割くらい埋まっていて、お年寄りの方から、子供連れの若い夫婦、ちょっとヒッピーっぽい雰囲気の若者(笑)と、老若男女様々な客層でありました。舞台のいたるところに火を灯したキャンドルが配置され、幻想的な雰囲気です。ステージの背後に吊るされた舞台芸術担当のアブドゥー・ウォログァム氏の泥染によるバックフラッグが光を浴びて神秘的に浮かび上がります。

 

マリの音楽家 – 身体性の高さに驚愕

演奏が始まるとハンマ・サンカレ氏によるカラバスのリズムが全体を支配している印象でした。

カラバスは大きなヒョウタンを半分に切っただけの打楽器です。手のひらの底でヒョウタンの胴体を叩くことでドンドン、バンというどっしりした低音を鳴らすことができ、指先でつまんだ箸をヒョウタンの表面に充ててカチカチとしたキレのいい高音をあやつることができます。

マイクの使い方の問題もあるとは思いますが、かなりしっかりしたアタック感とファットさのあるドスの効いた低音が鳴っていました。ロックバンドでバスドラム/キックの代用として使っても問題ないくらいパワフルな低音と、箸で叩く高音だけで凄まじい緊張感のあるビートが。ただのヒョウタンを切っただけのシンプルな楽器だからこそ、卓抜な身体所作が存分に発揮されます。

西アフリカには古くからグリオーという世襲制の職業があって、歴史や文化を口伝継承していく歌が先祖代々歌い継がれているんですね。何語で歌ってるのかはわかりませんでした(マリの公用語はフランス語)が、しなやかで伸びのある声と複雑なリズム感。お経のような呪文のようなフレーズは独特でした。

アサバ・ドラメ氏によってンゴニ(4弦ギター)で何度も繰り返し奏でられる呪術的なリフは、スペインのフラメンコや青森津軽のじょんがら節にも似たスリリンングさのあるスケール感。指先で弦を弾く三連符のペケレッ!ペケレッ!というフレーズは切れ味が抜群で、ものすごいスピード感でした。スイングしながらも、複雑な変拍子が当たり前のように登場する感じは大好物です。ンゴニが元となってアメリカ楽器のバンジョーが誕生したと云われているようです。

ンゴニからトーキングドラムに持ち替えてもまた凄まじい!とにかく速い!

トーキングドラムは細長い筒状の両面の太鼓を脇に抱えて、皮の張力を変えることで音程が変わるっていう西アフリカの伝統的な太鼓です。かつては遠くの人と音で会話するための通信手段として用いられたともいいます。

連打しながら皮の張力をコントロールすることで、駆け上がるような音、急落下するような音がぐにゃぐにゃと変幻自在に繰り出されるのは圧巻でした。

もうこれって本当に人類普遍の人力トランスなんですよね。

集中力の海に溶けていくというか、音の脈動に乗っかって変成意識状態に突入していくというか、ダンスミュージックの本質そのものって感じです。

ヨロ・シセ氏は演奏しながらトランス状態になる能力のあるシャーマンで、ぶっとんんだまま何時間もンジュルケル(2弦のギター)を演奏するそうです。

土取利行氏は来日できなかったボア・ジャキテ氏に代わってカマレンゴニを担当。十本の弦を親指で弾いて音を鳴らすハープで、歌い手に最適な優れた伴奏楽器。途中ジャンベに持ち替えたり、メモ紙を読みながら歌ったりなんでもやります。途中、演奏のやりとりが予定通りに行かない様子も垣間見えましたが、そこはミュージシャンの腕の見せ所、トラブルを臨機応変に即興で乗り切る瞬間はライブの醍醐味です。

ホールにはスピーカーが設置されており、各楽器のサウンドをマイクで拾っていたので、楽器そのものの生鳴りが体験できないのはちょっと残念でした。普段から自然の空間で鳴っている音楽だもんで、折角だから生音で体感したいものです。

 

終演後、ロビーに出て来ると手作りのチキンと豆のカレーが甘くて刺激的な香りを漂わせて大盛況。物販コーナーでは舞台芸術担当のアブドゥー・ウォログァム氏による一点ものの泥染Tシャツや守り神の亀のクッションが売られていました。泥染はマリのドゴン族に伝わる伝統的な工芸品だそうです。

 

郡上八幡音楽祭

郡上八幡音楽祭2017
https://gujomusicfes.wixsite.com/gujomusicfes2017

2017年9月17日(日)
会場:郡上市総合文化センター
岐阜県郡上市八幡町島谷207-1
前売り5500円 / 当日6000円
主催:郡上八幡音楽祭実行委員会

郡上八幡音楽祭は、「土地と人間の関係を音楽でとらえなおすこと」を理念に、自然と折り合うことで絶妙な暮らしをつむいできた郡上八幡の城下町で2013年より開催されてきました。郡上市民を中心とした「郡上八幡音楽祭実行委員会」を主催として、郡上八幡を拠点に活動するパーカッショニスト・土取利行をホストに、世界各地からその土地ならではの音楽家を招聘しています。とはいえ音楽、ただのその音楽がいったい何をもたらすというのでしょう。(ホームページでの主催者挨拶より抜粋/郡上八幡音楽祭実行委員会代表 井上博斗さん)

過去のフライヤに目を通すとどの演目も非常に興味深い内容です。ワールドミュージック・ファンなら垂涎ものの多様性の富んだラインナップです。

 

2016 トルコ・スーフィー 葦笛のうたと神秘の楽奏

2015 超フリージャズコンサートツアー

 

2013 日韓パーカッションアンサンブル 土取利行&ノルムマチ

 

 

土取利行とは何者なのか?

ここまでご覧になって、郡上八幡音楽祭で毎年ホストミュージシャンを務める土取利行とは一体何者なのか、興味をお持ちの方も多いのではないでしょうか?

私が土取利行さんを最初に知ったのは、BOOK OFFでイージーリスニングの棚の中から見つけたサヌカイトのCDをジャケ買いしたことがきっかけでした。サヌカイト=讃岐石は香川県で産出される自然石で、叩くとカーンと透明感のある響きがすることから古くから楽器として用いられていたそうです。

動画のようにマリンバや鉄琴のように並べて演奏されることもあります。とにかく音が気持ちいいので、部屋の雰囲気をチューニングするような感覚で、作業する時とか寝る時とかずっと聴いてた時期があります。自然界にあるままの石を叩くだけで奏でられるサウンドって凄いなーと興奮したものです。

調べてみたら元々フリージャズのドラマーで、縄文鼓・銅鐸・バラフォン・サヌカイト・カマレンゴニ・ドラム・パーカッション・三味線・笛と楽器全般に加え、演歌まで。世界的にミュージシャンのネットワークを持っている、とんでもない音楽家だったんですね。大発見でした。

土取利行(ツチトリ トシユキ)
70年代よりフリージャズドラマーとして近藤等則、坂本龍一などと活躍。75年から渡米渡欧しミルフォード・グレイブス、デレク・ベイリー、スティーヴ・レイシーなど即興演奏のパイオニアとコンサート、レコーディング。76年ピーター・ブルック国際劇団に音楽監督・演奏家として参加し、今日まで『マハーバーラタ』『テンペスト』『ハムレット』など多くの作品を手がける。アフリカ・アジアに民族音楽、芸能の調査に出かけ、多くの民族楽器や舞踊を学ぶ。87年、故桃山晴衣と岐阜郡上八幡に芸能堂立光学舎を設立し、数々のプロデュース公演を企画し出演。また「銅鐸」「サヌカイト」「縄文鼓」など日本の古代音楽の研究・演奏を手がけ、さらに人類の音楽の起源を探求すべくフランスの壁画洞窟を調査し、演奏。桃山晴衣の逝去後、彼女が最後の弟子として添田知道から直接習っていた本流演歌の研究・演奏に従事、添田唖蝉坊・知道の作品をCDで発表。著書に『縄文の音』『螺旋の腕』『壁画洞窟の音』『音の神秘』(訳本)。『軟骨的抵抗者・演歌の祖・添田唖蝉坊を語る』(鎌田慧共著)。CD多数、2017年エヴァン・パーカー、ウィリアム・パーカーとのライヴコンサートをCD化。2017年からブルック劇団で『バトルフィールド』世界巡業中。

是非チェックしてみてください!

来年の郡上八幡音楽祭ではどんな音楽が響き渡るのか、楽しみですね!

現場からは以上です!

取材・文 / alphanote 原田卓馬

最新アプリiOS ver.1.5.2、android ver1.5.3をリリース

<新機能追加>

多数のご要望を頂いておりました楽曲の歌詞の登録及び歌詞の閲覧が可能になりました。

①歌詞の登録はアーティスト管理画面にログインし、楽曲登録(編集)ページより歌詞を登録してください。

②登録された歌詞は、iOS、androidアプリにて確認、閲覧が出来ます。

 

■歌詞を登録する

こちらからログインし、アーティスト管理から楽曲管理を選択。

②楽曲管理から楽曲登録または楽曲編集にて、歌詞を入力し登録をすれば完了。

 

■歌詞をiOS、androidアプリで閲覧する

①alphanoteアプリで歌詞が見たい曲を選択し、ラージプレイヤーに切り替える。

②Lyrics(歌詞)ボタンを押下する。

③登録されている歌詞が表示される。

<その他修正点>

・いくつかのUIを改善しました。

今後もalphanoteの変わらぬご愛顧の程よろしくお願いいたします。

ブラック・サバスを通して聞くヘビーメタルの「本質」とは何か?(後編):Deep Music Experience 第4回

by Shinichi Hiramoto(2017.9.15)

前回のコラムにてBlack Sabbathと言う革新的であったバンドの音楽が何故最初の「ヘビーメタル」と呼べるのか、彼らの音楽から感じ取れる同時代のロックンロールとは異質な性質を探ることにより、その後のヘビーメタルにも引き継がれるメタルの「本質」と呼べる要素を追求してきました。

その中でBlack Sabbathの音楽は軽薄なノリや楽観性、sex, drugs & rock’n rollと言ったアティチュードよりも暗さや重さ、苦しみ、恐怖や絶望感を感じさせる音であることを指摘しました。

その傾向は歌詞においても反映されており、彼らの音楽の感覚と複数の曲の歌詞から総合的にBlack Sabbathには現実の絶望的で嘆かわしい状況を目を逸らすこと無く率直に見つめ、批判する強い傾向があることを指摘しました。

 

こう言った冷酷で絶望的な現実を直視する音感覚から導き出されるのはBlack Sabbathの本質的な独自性は現実主義とその「現実」に対する素直な「怒り」に基づいた「ニヒリズム」Nihilismにあると言うことです。ここで言うニヒリズムは絶望や自己憐憫に埋没する自己否定、又は未来に起こることを事前に決め付けて全てが崩壊へと向かっている運命にあると考える宿命論を言うのではありません(注1)。

人類、世界、社会などの「現実」、何時までも同じ過ちを繰り返す愚かさ、その先に希望の無いことを論理的(注2)にも実感的にも把握し、その絶望的な状況を直視した上、世界の愚行と虚構を完全否定し、絶望的な世界を越えて行く行為として生きることそのものの飛躍性(élan)と創造性の肯定を行うこと。

即ち世界の現実に垣間見られる人類の闇・愚かさを直視し、その現実に対する「怒り」と「絶望」を力と変え、その闇を完全否定した上に現状から離別した新たな視点・世界観・倫理観を生成し、それに基づいた存在肯定、創造行為の肯定を行うアティチュードを言います。

Black Sabbathの現実主義は如いては楽観性を欠いた根底のある存在肯定へと繋がる分けです。

 

そう言った絶望が約束されている現実とは異なる倫理や世界感の構築の上に存在肯定を打ち立てる側面は例えば個人を抑圧し体制の歯車に変える社会の性質そのものを直視するKilling Yourself To Liveと言う曲の中で見て取れます:

 

「君は人生の全てを仕事に捧げるが社会はどんな見返りをくれるって言うんだ?
それはただ「生きる」ためだけに自分を殺しているのと一緒だ
自分の周りを見てみろ、そこにあるのは傷つくこと、苦しみと悲しみばかりじゃないか
本来この世界はこんなところであるべきでは無いはずだ
それが君に理解出来ないのが残念だ

君は「生きる」ためだけに自分を殺しているんだ
俺の話を信じてみろ
他の誰も教えてはくれないだろう
目を覚ませ、そして社会を塗り固めている嘘を見つめてみろ」(注3)

ここで彼らは本当の幸福を蔑ろにしてまで社会の歯車となることの虚無的な現実を指摘し、その現実とは異なる倫理基準、即ち目を覚まし、その「嘘」を直視した上で苦しみや悲しみとは離別した生き方を模索することを肯定しています。

 

現状の現実を作り上げている体制的な価値観の枠組みとは異なった視点から存在肯定を促す傾向は上記以外にもA National AcrobatやSpiral Architectと言った彼らのより形而上的な、また実存主義的な感覚を感じさせる曲や、ボーカルがOzzy OsbourneからRonnie James Dioに交代してからの名曲Heaven and Hellにもより高度な形で表れています。

また他にも冷戦期のまるで終わりが約束されたような絶望的な世界情勢の中で生まれた若者達の体制への反抗に希望を見出すChildren of the Graveなどにも見て取れますが、興味深いのはこれらの曲全てにおいて共通してBlack Sabbathが苦しみに満ち溢れた絶望的現実から離別し、存在肯定するための世界観・倫理観の基礎としているのが「愛」であると言うことです(注4)。

これほど暗く、ヘビーで激しいバンドには意外な事に感じますが、特に難しい倫理観や正義を説教すること無く「愛」と言う哲学の世界においても伝統的に善や美と深く関わり、本来あるべき倫理感覚の基礎とされてきた身近で誰もが共有する根本的な感覚に世界を良くする可能性を見る彼らの率直さはむしろ憎しみや悲しみなどのマイナスな感情を強調する傾向の強まった後のメタルにはあまり見られないBlack Sabbathの単一的な魅力だと筆者は感じています。

同じくニヒリズムに根ざしていても人間の闇の力や暴虐性を現実から離別した価値観として強調することが一種固定概念化している現代のメタルに対してBlack Sabbathのニヒリズムは現実を直視した上でその絶望を生む構造の否定の上に力強く「愛」に基づいた人生肯定を促す、そう言った「べた」とも言えるような観点をストレートに主張できることにはこのバンドの上っ面に囚われない純朴な良さを感じてなりません。

 

A National Acrobat:

 

Spiral Architect:

 

Heaven and Hell:

 

Children of the Grave:

 

Black Sabbathの現実主義的なニヒリズムは物事の表象性に惑わされながら、又はイデオロギーや理想と言った概念に基づき世界、社会、人類や人間個人の心理を捉えるのでは無く、より単純に根本的な「本質」において感覚的に捉えていると言う点で後に現れるより政治的・概念的に社会批判や人類批判を打ち出すパンクやハードコアと言った系譜の音楽とも異質であると言えます(注5)。

この特異性は聞くものに大変なインパクトと影響力があった事は確かで、意図せずとも感覚的に後の多くのメタルバンドに引き継がれました。

またBlack Sabbath以降のヘビーメタルバンド達はニヒリズムと言う本質にさらにヨーロッパのロマン主義的感覚を吸収、独自発展させ、ニヒリズムの存在肯定、創造肯定の側面をより誇張されたファンタジー性や神話性に基づいた表現により具現化していく事になります。

その完成系の一つがデスメタルやブラックメタルであると言えるのですがそれに関してはまた別の機会にお話します!


(注1)ニヒリズムの定義またニヒリズムをヘビーメタルの中心的な感覚とする見解はアメリカ、テキサス州でヘビーメタルのDJを長年やり、インターネットの普及し始めた初期からニヒリズムの観点に基づきヘビーメタルを分析し紹介してきた哲学者Brett Stevensに同意するもの。ニヒリズムそのものに興味のある方は彼の著書「Nihilism」またその観点からデス・ブラックメタルを分析しているhttp://www.deathmetal.orgを参照のこと。

(注2)この場合「倫理」ethicsとはドゥルーズやミシェル・フコーが引き継いだニーチェ論の流れに則り使用しています。彼らの視点では「倫理」は「モラル」と同義ではありません。「ルール」や「常識」として権威的に決められた行動模範としての「モラル」を疑問視する事無く真に受けることは個人の主体的判断を欠き、受動的に奴隷の如く生きることに繋がりますが、それとは対照的に「倫理」とは各個人が自分自身の論理的、感覚的な総合的分析判断と批判的思考を持ってして物事の「良し悪し」、「善悪」をルール化する事無く、常に流動的な現実の変化に合わせ、その都度主体的に考えた上で決めるための枠組みを意味します。

(注3)歌詞は筆者意訳

(注4)例えばA National Acrobatではこう歌われています:「覚えておいてくれ、「生きる」ことは愛であり、憎しみは生きながらにして死んでいることだ。己の命の価値を最大限に活かし、一息一息を大切に全うしろ。」
Children of the Graveでは:「世界の子供達よ俺の言うことに耳を傾けてくれ。より良い世界に生きたいのであればこのメッセージを広げるんだ。「愛」はまだ生きていることを世界に見せてやれ、勇気をもって。そうでなければ君達の子供達は墓場のような世界に生まれることになるだろう。」

(注5)しかしパンクの系譜にある音楽とメタルは音楽の形式的発展の歴史においてはお互いに強い影響を与え合ってきたことは事実で、本質的な傾向は違えど共に社会や人類の愚かさに対し「怒り」をぶつける音楽であると言う共通した性質もあり、深い関係性がある事を無視することは出来ません。例えばメタルがグラインドコアやデスメタルの発展の中でより過激な速度感を作るために導入した「ブラストビート」と言う高速でスネアを打つドラミングのスタイルはそれ以前のハードコアパンクからの影響を吸収したものです。ヘビーメタルの演奏がより高速化していった背景にはその都度パンクからの影響があるのですが、それはMotorheadと言うスピード感のあるハードロックバンドからの共通の影響を両者が根本として受け継いでいたことにも関係しているかもしれません。

ブラック・サバスを通して聞くヘビーメタルの「本質」とは何か?(前編):Deep Music Experience 第3回

by Shinichi Hiramoto(2017.9.9)

日本国内では各レコード会社や雑誌などの宣伝媒体によって長らく隣り合わせにプロモートされてきたためか、「ヘビーメタル」と「ハードロック」と言う二つの音楽形態が一緒くたに語られることが多く、ファン層の間にもその本質的な違いが明らかでは無い状況が続いているように思えます。
今回のコラムでは前回また前々回の記事を通して紹介しました。
「深く音楽を体感するための勧め」6箇条に従い、個別の音楽形態の持つ感覚的な「力」の傾向、即ちその「本質」を識別しながら音楽を聞くことの楽しさを「ヘビーメタル」と言う実例を通して紹介しようと思います。

今一度復習しますと音楽の「本質」はまず何よりも経験を通して、即ち我々の五感を通して知覚される「感覚」と深く向き合って行くことにより見出されることを指摘しました。これを「経験主義」と呼びましたが、要は全ての価値観、知識や概念形成は知覚による経験を基にして形成される、知覚無くして「現実」把握は有り得ないと言う古代ギリシャより理解されてきた当たり前の真理に基づいています(注1)。
この五感に基づき得られた経験・感覚の傾向や性質の「良し悪し」や「美しさ」(注2)を分析、評価、言語化する哲学の分野はaesthetics、「美学」もしくはより正確に「感性美学」と呼ぶべきものです。その感性美の観点から感覚的にヘビーメタルを感じていきましょう!

ヘビーメタルもハードロックもどちらもロックの系譜にある音楽であり、それ故単純な音楽性の観察では共通してブルースからの影響があるのは確かですが、その曲調や歌詞から感じ取られる精神的傾向、雰囲気、感性美、様式美においてそれ以前のロックンロールやハードロックとは決定的な違いがあることは確かです。
その「違い」を決定的に打ち出し、その後のバンド勢に多大な影響を与え、「ヘビーメタル」の誕生と同時に完成形の一つを提示したバンドが居ます。
1970年に衝撃的なファーストアルバムでデビューしたブラック・サバスです(Black Sabbath)。Black Sabbathをヘビーメタルの開祖とするのは評論家の間でもメタルファンの間でも一般的に認められているところですが、問題は何故彼らの音楽がそれ以前のロックとは違い「ヘビーメタル」と呼べるのかと言う点です。
音楽理論的な形式的な違いの探求は他の専門家に任せ、ここでは前後編と2回に分け、より深く、音楽を聞いて受ける感覚から導き出される感性美の観点からBlack Sabbathの音楽の「本質」を追及します。それにより如いては彼らを源流としてそれ以降のヘビーメタルに流れ続ける、共通した指標としての「本質」が幾つか見えてくるので今後のコラムでヘビーメタルをさらに深く追求していくための基礎になるかと考えます。

ファーストアルバムをかけるとまず耳にするのが不気味な教会の鐘の音をバックに雷と雨の音の中から一気に叩き出されるズルズルと遅く、重圧で暗いリフが凄いインパクトで圧し掛かるタイトル曲です(注3)。
そこには60年代後半を彩ったフラワーチルドレン達の理想主義、平和主義や一種軽薄で楽観的な存在肯定、サイケデリックなドラッグによる影響を曲にそのまま反映させていく色艶やかな感覚などは一切聞こえません。また同時代のDeep Purple、UFOやLed Zeppelinのようなハードロックバンド達が持ち合わせていた華やかなロックスター的な感覚、如何にもsex, drugs and rock’n rollと言ったステレオタイプに乗るようなアティチュードや音感覚も感じ取れない(注4)。
聞こえるのは「闇」、軽薄な「ノリ」では無く徹底的なヘビーさ、明るさでは無く恐怖感、希望の無さ、全てが終幕を迎える無力感、終わり行く人類に対する絶望の重さ(注5)。
その感覚は歌詞の内容にも反映されておりバンド名をそのまま課したこの1曲目は新約聖書のヨハネの黙示録にて展開されるようなキリスト教の世紀末論を思わせる「世界の終わりの日」の光景を歌っています。
しかしここにはキリスト教の神学通りの「世界の終わり」に約束されたキリストの再誕による救済は一切無く、あるのは悪魔的な「黒い影の人物」がもたらす破壊と恐怖だけです。
「神」が不在である世界において人類自身の愚かさから約束された絶望です(注6)。

こう言った人類そのものに対して感じる絶望的な状況は彼らの世界・社会情勢の観察にも理想や、希望的な幻想を廃した、はっきりとした現実主義として表れます。
例えば、戦争を主義主張も大儀も無い、権力による命の弄びとして観察するWar Pigsと言う曲では:

「政治家たちは隠れまわる
彼らは戦争を始めるだけだ
何故前線で戦う必要がある?
殺し合いは貧しいもの達にやらせれば良いのだ」

と戦争を特に政治論的に批判するでも、平和主義を訴えるわけでもなく、率直にその愚かしい現実を歌っています。

また原子力に支配された意識が生む、未来無き世界を歌うElectric Funeralでは:

「空の反射が来たる死を警告する
嵐が来る、隠れた方が良いぞ、放射能の波が押し寄せる
空を走る閃光は家々を粉々にし
人々を粘土へと変え、放射能は理性的意識を腐敗させる
ロボットのように考えることを止めた奴隷たちの意識は憤怒に任せた原子力利用へ繋がり
プラスチックの花々、溶ける太陽、そして掠れる月が落ちるのは

放射能の死の世界、きちがい達の欲求不満の被害
炎に包まれる地球、それはまるで電子的な火葬の炎のようだ」

と原子力に支配された冷戦期の世界を表象的なイデオロギーや政治の問題では無く、根本的に良し悪しを考える行為をロボットの如く忘却した人類の愚かさの産物として率直に捉えています。

戦争や世界情勢では無く集団社会の残酷な性質を直視するSabbath Bloody Sabbathでは:

「誰一人として教えてはくれない
彼らに物事のありようの理由を聞いても
彼らは君がただ「一人」なんだと跳ね除け
君の頭の中を嘘で埋め尽くすだけだ」

と建前や嘘の柵に形作られた社会の中で真実を追究する個人が冷酷にも跳ね除け者にされる事実を見据えている。

こう言った現実の冷酷で絶望的な状況を直視する音感覚から導き出されるBlack Sabbathの本質的な独自性とは何なのでしょうか?次回、この世界の過酷で愚かな現状から決して目を逸らす事の無いBlack Sabbathの現実主義的な傾向が意図せずともニヒリズムと呼べる「本質」を形成している様を追及していきます。


(注1)その逆、即ち概念を「経験・感覚」を純粋に感性的に吟味した結果から生成するのでは無く、概念を先天的に存在するものと誤って認識し、感覚から隔離し概念を絶対とする、また経験を吟味せず事前に作られた概念へと還元する行為は真理に基づいておらず、不自然な行為である上に誤った現実把握に繋がると言えるでしょう。

(注2)ギリシャ哲学の認識において「良し悪し」とは主観的価値観では無く普遍的な「正しさ」「正義」や「善」を持ち合わせているかの感覚的強弱を意味する。「美」も同じく主観性とは無関係に普遍的に「美しい」即ち形式や表面を超えた「永遠性」、手に入れる又は経験できれば「完成された幸福」へと繋がる「経験・感覚」を意味する。筆者自身はこう言った認識に同意しており、音楽から受ける感覚を言語化する上で利用しています。

(注3)この単音を大げさなまでに重く、遅く、長く引き伸ばして演奏するリフスタイルを完成させ、効果的に使用したことはBlack Sabbathの専売特許と言えます。彼らはこう言ったリフスタイルに止まらず後のスラッシュメタルなどにも通ずる早いリフやプログレ的に多様な音楽性を自在に操るバンドですが、このトレードマークとも言える重たく遅いリフスタイルは衝撃的なだけにそれのみを受け継ぎ、音楽性の中心とした「ドゥーム・メタル」と言うメタルのサブジャンルにも発展することとなります。

(注4)正確にはOzzy Osbourne時代のBlack Sabbathはキャリア通してアルバムごとに1・2曲はロックンロール的な感覚の残った曲もあるのですが(例:ファーストアルバムの時点では「Evil Woman」や「Warning」など)、こう言った傾向は決してバンドの本筋では無く彼らのより独自性が強く完成度の高い曲には無い傾向です。しかしバンドそのものはその後のドラッグ遍歴も長く、決してsex, drugs, and rock’n rollな生活から離別していたわけではありません、この記事において言うのは曲から受ける感覚、感性美においてはそう言ったロックンロール的な軽さは大体の曲からは聞き取れないと言う意味です。

(注5)Black SabbathやJudas Priestと言った最初期にヘビーメタルの音楽性を決定付けたバンド達はイギリスのウエスト・ミッドランズに属するバーミンガムと言う工業都市出身です。後にインタビューで彼ら自身も追憶していますが、彼らをヒッピー達のような理想主義や楽観性へと向かわせなかったのはバーミンガムの環境の影響が大きかったとの事。彼らの現実主義的な観点と感性を形作ったのはいまだ第二次大戦による破壊の後が垣間見られる復興途上のバーミンガム、汚染された川とモクモクと煙を吐き出す工場群の中で、決して恵まれた環境とは言えない労働者階級の子供たちとして退廃した現実を見ながら育った経験だったと言えます。ドキュメンタリー「Heavy – The Story of Heavy Metal」参照のこと。

(注6)この点も含み複数の要素でBlack Sabbathはニーチェ論的な側面を持ち合わせているのですが、ヘビーメタルとニーチェ哲学に関しては別の機会に深く追求しようかと思いますのでここでは言及しません。

(注7)歌詞は全て筆者意訳

短命のロックステディであるが、ジャマイカ音楽の発展には必要不可欠だった!

So Sasatani(2017.08.19)

スカ、ロックステディ、レゲエと変貌を遂げるジャマイカの音楽、今回はスローなテンポで甘い歌詞が特徴のロックステディについて書いてみます。

ロックステディ期に入っても、スカの時代からジャマイカの音楽を牽引しているコクソン・ドッドとデューク・リードの存在はやはり大きいままでした。
レーベル『スタジオ・ワン』を立ち上げたコクソン・ドットの勢いは一時、デューク・リードを飲み込んでいましたが、デューク・リードもロックステディ期に入ると巻き返してきます。

彼のレーベル『トレジャー・アイル』はシルバートーンズ、パラゴンズ、ジャマイカンズなど数々のグループバンドの録音をし、ロックステディの音を確立しました。

日本ではサッポロ ドラフト・ワンのCM曲で知っている人が多い「Tide is High」は様々なアーティストにカバーされていますが、パラゴンズがオリジナルなのです。
心地いいロックステディのリズムと聞き馴染みのあるメロディが混ざれば、天にも昇ってしまいそうなほど気持ちがいいものです。

さらに、デューク・リードはデルロイ・ウィルソン、ボブ・アンディ、フィリス・ディロンなどのソロアーティトを見出しました。

デューク・リードの勢いに負けじと、コクソン・ドットはキーボード奏者のジャッキー・ミートゥーを中心としたバンド演奏でケン・ブースやデルロイ・ウィルソンを録音します。
コクソン・ドットとデューク・リードがお互いにアーティストを引き抜いたりし音楽ビジネスに切磋琢磨したからこそ、ロックステディ期に数々の名曲が生まれたとも言えるのです。
また、コクソン・ドットが巻き返したのはヘプトーンズの存在も大きいようです。
ヘプトーンズは三人組のコーラスグループで見事なコーラスワークを聞かせてくれます。
ロックステディ期の大きな特徴の一つにはコーラスグループがあり、それは70年代のルーツレゲエにもそのまま引き継がれていきます。

コーラスグループはヘプトンズの他に先ほど紹介したパラゴンズ、メロディアンズ、テクニークス、カールトン&ザ・シューズなどがいます。

コーラスグループの台頭もジャマイカの音楽の大きな変換点となっているのです。
コーラスグループ縛りで音源を集めて聴き比べてみるのも楽しいかもしれませんね。想像しただけでワクワクします・・。

ロックステディ期のジャマイカではアルトン・エリスの影響力は大きく、「あんな風に歌えれば」と彼の歌唱法を受け継いだアーティストはたくさんいます。デニス・ブラウン、フレディ・マクレガー、シュガー・マイノットなど第一線で活躍し続けたシンガーも彼の影響を受けているのです。「レゲエといえばボブ・マーリー」といったように、「ロックステディといえばアルトン・エリス」といっても過言ではありません。

彼は当時のジャマイカではボブ・マーリーよりも大きな存在だったのだとか。

ロックステディの父とも言われるそんなアルトン・エリスをスタジオ・ワンへと引き抜いたコクソン・ドットは、彼をイギリスツアーに同行させました。その結果、イギリスにおいてもアルトンエリスの人気は止まりませんでした。
彼の歌の内容はというと、デューク・リードの元で活動していた時期にはジャマイカの社会問題についてよく歌っていました。しかし、彼が住んでいたのはキングストンのゲットーだったこともあり、反社会的な人々から狙われるようになりました。

そういった経緯もあり社会的な歌は控えて、コクソン・ドットの元では「愛」についての名曲を生み出しました。

なんと、そのほとんどは妻に書いた歌だったといいます。ショーン・ポールなどダンスホールのアーティストもカバーしているアルトン・エリスの名曲「I’m Still in Love」は妻と別れた時の悲しい気持ちを歌ったものでした。やはり恋の歌は万国共通のようですね。

ロックステディ期に忘れてはならないシンガーはもう一人いますね。そう、Mr.Rockstedyことケン・ブースです。今にも感情が爆発しそうかと思いきや、妖艶な雰囲気で哀しげに歌いあげたり、「唯一無二」のシンガーであるといえます。

美しく品を持って歌うのがアルトン・エリスなら、人生の酸いも甘いも感じさせる渋さを持って歌うのがケン・ブースです。彼はロックステディ期に入ると柔和さも加わったような歌い方へと変化していき、さらに歌声に磨きをかけていきました。

コクソン・ドットがアルトン・エリスを引き連れたイギリスのツアーにはこのケン・ブースも同行していました。ケン・ブースはスタジオ・ワンで数々のヒット曲を飛ばし、ロックステディを牽引していきます。

そのロックステディ期が終焉に向かっていく頃も彼の勢いは衰えなかったようです。1974年に発表した「Everything I Own」は日本のレゲエの現場でもよく掛かる珠玉の一曲となっています。
元々は1972年にソフトロックバンド「ブレッド」が亡き父のために書いた曲でした。
ケン・ブースの歌声と同曲の哀愁がマッチし、「Everything I Own」のカバーはイギリスで大ヒットを果たしました。

ロックステディ期の楽曲には甘さがあり、実際にラブ・ソングが多く歌われました。しかし、だんだんとロックステディからレゲエへと変化するにつれ、ラスタの思想やバビロン(体制)に抵抗する思想が歌詞に反映されていったのです。

楽曲からメロウさは失われ、どこか攻撃的であり、良くいえばよりメッセージ性を感じられる楽曲が増えました。わずか数年で終わったロックステディ期ですが、そこで生まれた歌声は今なおジャマイカならず世界中に響きわたっているのです。

筆者は実際にレゲエの現場にいくこともありますが、イベントが始まった早い時間はロックステディが流れてきます。
ここから少し余談になりますが、スピーカーの前でメロウな楽曲に身を任せ、ハイネケンを飲んでいるのが何よりも幸せです・・。やはりレゲエは現場に行くのが一番です。サウンドシステムから流れる音を体感すれば、本能的に身体が揺れています。

異国の音楽が流れる場所、それは普段の生活とは別の世界です。
こちらの写真は乃木坂駅から降りてすぐにあるClub Cacutus。

ここには、元祖日本のDeejay「ランキン・タクシー」率いるサウンドシステム「Taxi Hi-Fi」があります。今回紹介したロックステディの名曲もたくさん流れるはず。
レゲエに興味を持ったなら一度、足を運んでみてはいかがでしょうか♪